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神のお告げから生まれた城端絹

戦国時代末期の1577年、城端の商人であった畑庄左衛門によって、城端で絹織物が始められたと伝えられています。

畑氏が京の都で城端の繁栄を祈念したところ、「菅原道真公の直筆の像を崇みなさい」とのお告げがありました。その像に向かって7日間、産業の興隆を祈願したところ、「絹を業とすれば市中繁盛まちがいなし」とのお告げを受け、絹織物が始められました。

この尊像は絹業商売守護の神として城端の水月寺に寄進され、現在でも地域の繊維業者によって崇拝されています。




加賀絹の名で販路を広げる

北陸地域は蓮如上人による布教活動で浄土真宗が普及し、栄えていきました。蓮如上人開基の善徳寺が1559年に福光から城端に移り、寺内町として越中富山の南西部でもっとも大きい町となりました。

江戸時代には、近隣の砺波郡南部地方や五箇山地域の村々で作られた繭や生糸が城端に集められ絹織物となり、「加賀絹」として京都や江戸へと運ばれ、城端の絹織物業も急速に成長しました。
江戸時代の1693年には、すでに城端に住む半数以上の人が絹織物に関わっており、五箇山地域の生糸をタテ糸に、砺波郡南部地方の玉糸をヨコ糸に使用した「しけ絹」が主な生産品目でした。明治期には羽二重や絽などの製織も始まり、その後も多種多様な絹織物の生産がおこなわれました。

現在、富山県で「しけ絹」を製織しているのは弊社のみとなっています。





松井機業の歩み


初代が加賀松任(現・石川県白山市)から城端に移り住み、孫の文次郎が明治10年に松井機業を創業。

2代・文次郎
(市場シェア拡大)
ふすま市場で競争拡大…品質を向上させるとともに、「しけ絹紙」の生産効率を上げる。
3代・文吉
(新規市場開拓)
壁紙として海外進出…「しけ絹紙」を壁紙として欧米各国へ輸出。
4代・鴻造
(市場シェア拡大)
ふすま市場で場競争拡大…裏打作業に使われる糊を改造。また、乾燥方法を改良することで、絹紙の製造効率向上を行う。
5代・文一
(新規参入)
生活用品への参入…シルク入浴剤、しけ絹シェードなど時代に合った商品を開発。
6代・紀子
(市場開拓)
市場での認知、差別化…しけ絹の新たな楽しみ方を提案するブランド「JOHANAS」を立ち上げる。蚕のエサとなる桑の土づくりから行い、養蚕を始める。





今後の展開

現在、原料である玉糸は、ブラジルの会社から輸入していますが、以前は五箇山(富山県と岐阜県の県境)の生糸をタテ糸に、福光町(現・南砺市福光)の玉糸をヨコ糸に使用していました。

2008年の記録的な豪雨により、工場は大きな水害に遭いました。その際に、地域の方々が工場の復興に協力して下さったことで、わたしたちは今も絹を織ることができています。その土地で作られたものが、その土地の人と相性が良いように、南砺で育てられた絹は、南砺の人と相性が良いものであると考えています。

近年、少しずつではありますが、工場内の養蚕場でお蚕様を育てています。いつか、南砺に養蚕を復活させることが、わたしたちの目標であり、地域の皆さまへの恩返しだと感じています。



自然の力を信じ、土づくりから。

蚕のエサとなる桑の葉。その桑の木を、わたしたちは独自に育てています。
オーガニックシルクについて考える中で、土壌から見つめ直し、2019年には土づくりからスタートしています。科学的な取り組みが進む中、わたしたちは、ありのままを大事に、自然が持つ本来の力を大切にします。



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〒939-1815 富山県南砺市城端3393
0763-62-1230 (平日9:00~17:00)
ショールーム (平日13:00~17:00 / 土日休)
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